ケータイ辞書JLogosロゴ 小前田村(近世)


埼玉県>花園町

 江戸期〜明治22年の村名。榛沢郡鉢形領のうち。古くは藤田郷萱苅荘に属したという。慶長年中芝地開発により新田が取り立てられ,「新田の方次第に開け本村は衰え今は民家も絶え新田の民来て耕種せり。されば本村の方は名のみ残れり」と「新編武蔵」にある。幕末に小前田新田村と合併するが,その年代不明。はじめ幕府領,享保17年より上総久留里藩領。検地は明暦元年・延享2年新田検地(31石余)の2回。村高は「田園簿」では145石余,すべて畑。「天保郷帳」は151石余,「旧高旧領」では久留里藩領286石余,岩鼻代官領31石余。化政期の村況は,村の規模東西14町・南北18町余,家数150軒余。当所は江戸板橋より上野筋への中山道脇往還と秩父【ちちぶ】往還が通り,「寄居【よりい】・原宿・深谷【ふかや】・熊谷・赤浜等の数村へ馬の継立をなし民家軒を並べて宿駅のさま頗る賑えり」という(新編武蔵)。寺社は戦国期の鉢形北条氏邦の子光福丸埋葬を伝える新義真言宗長善寺,鎮守は諏訪社・羽雌箭明神社などがある。世襲名主は町田氏で問屋を兼ね,戦国期の先祖は北条氏邦の軍奉行であったという(鉢形家臣分限録)。明治9年埼玉県,同12年榛沢郡に所属。明治9年の戸数188・人口849,土地は「砂礫を混ずるため稲粱に適せず,桑・茶に応ず。時々水旱に苦しむ」所で,大麦・小麦・茶・桑・薪・アユ・生絹・輸出用蚕卵紙・鎌などを産出。明治22年花園村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286211
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ