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「柏崎」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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柏崎(中世) 鎌倉期から見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
柏崎村【かしわざきむら】 (近代)明治22年~昭和29年の羽咋(はくい)郡の自治体名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
柏崎村【かしわざきむら】 (近代)明治22年~昭和29年の羽咋(はくい)郡の自治体名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
柏崎村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
柏崎村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
柏崎県【かしわざきけん】 (近代)明治元年7月27日~明治2年2月22日の県名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
柏崎新町【かしわざきしんちょう】 (近世~近代)江戸期~昭和53年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
柏崎村【かしわざきむら】 (近代)明治22年~昭和32年の度会(わたらい)郡の自治体名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
柏崎新町(近世~近代) 江戸期~昭和53年の町名江戸期は八戸城下の1町で,武家地城下の南東に位置し,南は類家【るいけ】村となる表通の塩町に対し裏通に位置するため,裏塩町とも称される柏崎村地内に新設された町と考えられ,町名もこれによるものであろう「八戸藩日記」享保11年11月5日の条に柏崎新町と見え,猪を突き止めたとあるまた,同16年7月には裏塩町ともあり,家中屋敷の形成がうかがわれる「八戸藩史料」によれば,文化3年4月塩町居住の藩士が当町に移されたという当町には神道無念流の道場があり(八戸藩史料),道場主の佐藤万次郎は慶応2年正月,領内猪害のため山根通で大掛かりな狩りを行った(八戸藩日記)これは門弟らの足堅調練を兼ねたものであったが,同書には勢子600人を動員したとある明治初年の家数37(国誌)同9年9月当町の源晟らが陸奥国八戸光栄会(ギリシャ正教)を設立明治初年~明治22年まで八戸を冠称する場合があった同22年八戸町,昭和4年からは八戸市に所属明治27年の「八戸栞草」は写真師1・湯屋1・代書人1を記載大正13年5月の大火ではほぼ全町が被災した昭和6年7月八戸和洋裁縫女塾(白菊学園)開校世帯数・人口は昭和5年94・517,同35年317・1,392同53年柏崎1~6丁目となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
柏崎【かしわざき】 松浦川下流部,松浦川の支流宇木川左岸の平坦地に位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
柏崎村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」