ケータイ辞書JLogosロゴ 金窪(中世)


埼玉県>上里町

 戦国期に見える地名。賀美【かみ】郡のうち。初見は天正8年と推定される辰12月1日の鉢形【はちがた】城主北条氏邦印判状で上杉勢への押えとして神流川境の当地を塩荷押えの地と定めている(長谷部文書)。天正10年金窪城は小田原北条氏の勢力圏の北限として氏邦の臣の斎藤氏が居城し,上野【こうずけ】国廐橋【うまやばし】(前橋市)の城主で織田信長の重臣滝川一益に対している。「小田原記」にも見え,同年の神流川合戦では激戦地となり,金窪城は焼失したと伝える。しかし斎藤氏の支配はそのまま続き,同13年の北条氏邦伝馬次の文書にも「金くぼ,斎藤一路ニ可申」と見える(上毛及上毛人)。斎藤氏は天正18年以後,児玉【こだま】郡に移り,当地は徳川氏の所有となった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286378
最終更新日:2009-03-01




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