ケータイ辞書JLogosロゴ 金野井郷(中世)


埼玉県>庄和町

戦国期に見える郷村名下総【しもうさ】国葛飾【かつしか】郡のうち慶長11年の写である大永5年の法印宥位の「宝聖寺末寺帳」の46か寺の中に「満福寺 庄内金野井」と見える宝聖寺は現在の幸手【さって】市平須賀にある新義真言宗の寺院で,大鱗山光明院といい,満福寺がこの末寺だったことがわかるまた天正14年11月23日の小田原北条氏が当地の代官恒岡長門・佐枝若狭および百姓中に宛てた検地書出に,金野井郷として106貫280文が記されており,神田梶取明神社領分2貫文,ほかに寺領や百姓公事免・代官給・定使給・名主給など,計23貫600文を免除されている(遠藤家文書/野田市史料集7)なお西金野井の香取神社の棟札写には「金井本郷 神田梶取大神 徳治元年三月十七日」とあり,この裏面には「金井本郷氏子中 本社板屋根替 天正十九年十二月ト有之」とあるが,金井本郷は金野井本郷のことかと思われる(銘記集)「郡村誌」によれば,古くは桜井郷下河辺【しもこうべ】荘庄内領に属したというが,寛永年間の江戸川改修の際に,江戸川をはさんで東金野井村(現千葉県野田市)と西金野井村とに分かれたという現在の庄和町・千葉県野田市の一部
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286395
最終更新日:2009-03-01




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