ケータイ辞書JLogosロゴ 鐘撞山(中世)


埼玉県>加須市

戦国期に見える地名県北東部,会ノ川(旧利根【とね】川)の自然堤防上に位置し,南には油井島沼の低湿地が続く当地の鐘撞山城は騎西【きさい】城(現騎西町)の出城で油井城ともいう武蔵七党猪俣党の猪俣小平六則綱の子孫が居城としていたと伝える「鐘撞山之記」によれば,永禄5年上杉謙信が北条方の成田長康の次男小田頼興の守る騎西城に押し寄せたその時油井城へも一隊が迫ったそこで城兵は鐘を鳴らして急を騎西城に連絡したが,騎西城方も援軍を出す余力がなく,城中の兵は孤軍奮闘したが,やむなく甲冑兵器を丘に埋め身をもって逃れたこれより鐘つき山と呼ばれるようになったという(日本城郭大系5)現在土塁・空濠・水濠が残る現在の加須【かぞ】市大字油井ケ島のうち
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286412
最終更新日:2009-03-01




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