ケータイ辞書JLogosロゴ 鹿下村(近世)


埼玉県>越生町

 江戸期〜明治22年の村名。入間【いるま】郡のうち。越生郷16か村の1つ。古くは越生郷堀江荘高麗【こま】領に属したという。はじめ幕府領,のち旗本服部氏知行,のち再び幕府領,元禄11年からは旗本大島・逸見両氏の相給。村高は「田園簿」では205石余,うち田155石余・畑50石余,「元禄郷帳」では260石余,「天保郷帳」では261石余。村の規模は東西8町・南北10町余。化政期の家数48軒。寺院は新義真言宗の円泉寺・東用寺,本山派修験大行院,薬師堂。高札場は村の西と東の2か所。小名は高房・助のぶ・大またなど。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数49・人口215,馬11。同12年入間郡に所属。同22年越生町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286414
最終更新日:2009-03-01




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