ケータイ辞書JLogosロゴ 上天沼村(近世)


埼玉県>さいたま市

 江戸期〜明治22年の村名。足立【あだち】郡大宮領のうち。旗本大岡氏知行。検地は不詳。村高は「元禄郷帳」150石,文化10年145石余(市川文書)。畑作中心であった。村の規模は東西・南北ともに5町余。天保期の家数18軒。用水は西縁用水を利用し,余水は水堀を通して中悪水(芝川)に落とした。紀伊徳川家の御鷹場支配をうけ,鳥見役北沢甚之丞預り28か村の1つで,寛政11年土呂【とろ】村野原の猪鹿狩りに5人,嘉永2年下総【しもうさ】国小金原の猪鹿狩りに9人の勢子人足を徴発され,天保年間には鷹匠や鳥見の廻村費用を分担しあうため下天沼村など5か村と小組合を結成。助郷は中山道大宮宿に出役。正徳・安永年間には日光御成街道大門【だいもん】宿への当分助郷を負担。文政11年より大宮宿寄場55か村組合に所属。西縁用水路は舟運にも利用され,村内には上天沼河岸が設けられ,薪などを江戸へ出荷。鎮守は熊野社で,俗に天沼のおしゃもじ様とよばれ子供のクチムキ(百日咳)に効験があると伝えられている。大日堂は鎌倉期の創建と伝えられるが,戦国期から近世にかけての戦乱で堂宇が焼失し荒廃。これを村民星野氏が再建したと伝え村民の菩提寺でもあった。高札場は村の北部。明治4年埼玉県に所属。明治9年の戸数26・人口115,馬6,荷車22。物産は米・大麦・小麦・甘藷など。明治12年北足立郡に所属。同22年大宮町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286451
最終更新日:2009-03-01




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