上岩瀬村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡羽生【はにう】領のうち。古くは葛浜郷太田荘に属したという。はじめ岩瀬村であったのが,承応3年の検地で上・下に分村したという。宝永年間には旗本堀・松前氏の相給,幕末は幕府領。村高は「天保郷帳」で890石余,以後変わらず。高札場は2か所。鎮守は天神社,ほかに神社は3社。寺院は曹洞宗瑞融山岩松寺で,慶安2年朱印地20石を秀安【ひでやす】村内で拝領。新義真言宗医王寺は同村内で朱印地20石を拝領。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数130・人口715,馬24。物産は米・麦・大豆・木綿青縞・木綿縞・蚕卵紙など。米麦・大豆の余剰は羽生・行田【ぎようだ】両町に,木綿縞・蚕卵紙は東京へ出荷した。同6年岩松寺に公立小学校岩瀬学校を開校,生徒数95。同12年北埼玉郡に所属。同22年岩瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286465
最終更新日:2009-03-01