ケータイ辞書JLogosロゴ 上内川村(近世)


埼玉県>吉川市

 江戸期〜明治22年の村名。葛飾【かつしか】郡松伏【まつぶし】領のうち。古くは八郷下河辺荘に属したという。幕府領。江戸期には内河村のうちで,「田園簿」では内河村と見えるが,正保国絵図では上・下2村に分かれているといい,正保年間頃に分村したものと思われる。「元禄郷帳」「天保郷帳」では村高837石余,「旧高旧領」では1,514石余。東西28町・南北3町。化政期の家数89。用水は二郷半領新田用水を利用。高札場は村の北西で,小名には松高分・金杉分・船渡内分・新堀分があり,それぞれ女体権現4社を鎮守とし,「旧高旧領」では社領1斗2升とある。ほかに金杉分は諏訪社をも鎮守とする。寺院は新義真言宗西蔵院・密蔵院など。田島村・広島村に飛地があった。村の西に野田町(現千葉県野田市)から下総【しもうさ】国猿島【さしま】郡(現茨城県猿島郡)への猿島往来が通る。また中川に作場渡しがあった。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数99・人口557,馬15,渡船3・川下小船15・耕作船73。物産は米。田島村・広島村・内川村に飛地がある。明治12年北葛飾郡に属し,同22年旭村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286467
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ