ケータイ辞書JLogosロゴ 上木崎村(近世)


埼玉県>さいたま市

 江戸期〜明治22年の村名。足立【あだち】郡木崎【きざき】領のうち。古くは高鼻【たかはな】荘に属したという。木崎村が当村ほか3か村に分村して成立。分村の年代は不詳だが,元禄国絵図に見えることから,その頃分村したと考えられる。幕府領。検地は元禄3年,大原新田などの新田検地は享保16年(市川文書)。村高は「元禄郷帳」で238石余,「天保郷帳」で294石余。村の規模は東西10町余・南北8町余。化政期の家数37軒。紀伊徳川家の御鷹場支配を受けた。助郷は中山道浦和宿へ出役。飛地が瀬ケ崎村内にある。用水は天水を利用,新田は見沼代用水を使用。鎮守は高埇【たかはな】明神社で,同社は当村ほか下木崎・北袋・瀬ケ崎・針ケ谷5か村の鎮守。神社はほかに神明社・稲荷社など。寺院は天台宗正福寺。中山道・赤山街道が村境を通る。高札場は村の北部。小名は荒井・中道通・会ノ谷など。名主は市川家で近世文書を多く収蔵する。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数40・人口318,馬7,荷車8。物産は米・大麦・小麦・大豆・甘藷など。飛地が瀬ケ崎村のなかにある。明治12年北足立郡に所属。同22年木崎村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286535
最終更新日:2009-03-01




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