ケータイ辞書JLogosロゴ 上須賀郷(中世)


埼玉県>宮代町

鎌倉期から見える郷名郡名は不詳初見は小山文書の寛喜2年2月20日の小山朝政譲状で,嫡孫五郎長村に譲った所領・所職のなかに「一,武蔵国上須賀郷」と見える上須賀郷はこのほかに同文書中の年未詳の所領注文案にも「一,武蔵国上須賀郷・石岡郷并吉沢地頭職事,足立郡内上根村半分事,大田庄」と見える(栃木県史)この所領注文案はその内容・成立年代が疑問視され,阿曽沼氏の所領を含みこむ形で,永徳2年の小山義政滅亡後,小山泰朝が小山氏を再興した応永年間以降に作成されたものという(峰岸純夫:小山文書についての覚書/小山市史研究1)永徳2年4月,小山義政は再度挙兵して鎌倉公方足利氏満に対し反乱を起こし,滅亡するこの時没収された上須賀郷は永徳2年12月25日の鎌倉公方足利氏満御教書によると,足利氏満から安保憲光に小山氏討滅の恩賞としてその半分が宛行われ,その後,応永2年10月17日の足利氏満御教書では安保憲光は須賀郷半分の替わりとして「常陸国下妻庄内小嶋郷半分」が宛行われている須賀郷は小山文書に見えるように上・下に分れており,須賀郷半分とは上・下それぞれを指すものであろうこの(上)須賀郷は安保憲光がその替わりとして小嶋郷を宛行われたあと,誰に与えられたか分明ではないが,再興された小山氏の可能性がある戦国期小山文書(栃木県史)年未詳足利藤氏書状に「連々被申候,太田庄内十七郷方事,今度忠信感悦之間,知行於御本意之上,少も不可有御違篇候」とあり,小山氏が依然大田荘内に影響力をもっていたと思われる上須賀郷は中世には大田荘に属し,近世は埼玉郡須賀村,現在の南埼玉郡宮代【みやしろ】町須賀の地
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286571
最終更新日:2009-03-01




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