ケータイ辞書JLogosロゴ 上馬場村(近世)


埼玉県>八潮市

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡八条領のうち。貞享5年・宝暦2年・弘化2年・明治10年の天神社の各棟札には「埼玉郡大宮荘八条領馬場村」とある(浜野家所蔵)。幕府領。現存する検地帳の上限は慶長17年4月18日の「武州喜西郡上馬場村御地水帳」であるが,慶長8年10月12日の伊奈忠次の発給した年貢割付状が存在している。同割付状によれば,同年には田6町1反余で,米28石余,畑・屋敷6町余で永1貫662文が課せられている(浜野文書)。村高は「田園簿」では144石余,うち田96石余・畑47石余,「元禄郷帳」では212石余で,以後変わらず。村の規模は東西10町・南北3町。化政期の家数28軒。浜野文書中の記録によれば,当村一帯の開発者は浜野大学という者で,天文3年から開発を行い,元亀元年に岩付から帰農したといい,一族は岩付太田氏に仕えたと伝える。また江戸初期と思われる年不詳辰11月9日の年貢割付状には「上馬場村新田」と記載されているところから(浜野文書),中世末から近世初頭にかけて開発され成立した村であろうと思われる。用水は八条用水。なお本所上水が延宝3年に開削されたが使用に適さず,享保11年に埋立て,この地に新田を開発した。本村分は享保18年の検地で,1石余。鎮守は天神社で,別当不動坊が天文年間に勧請したという(浜野文書)。寺院は新義真言宗観音寺など。高札場は村の中央部。小名は馬場方通り・天神通りなど。ほかに持添新田を有した。明治4年埼玉県に所属。同6年観音寺に上馬場学校を開校。同9年の戸数29・人口161,馬2,荷船1・水害予備船3。物産は米・麦・ネギ・ナス・カボチャなど,米を東京周辺に出荷。小作田村に飛地がある。同12年南埼玉郡に所属。同22年八幡【やわた】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286643
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ