ケータイ辞書JLogosロゴ 上広谷村(近世)


埼玉県>鶴ケ島市

 江戸期〜明治22年の村名。高麗【こま】郡のうち。古くは広谷郷,または山田荘勝呂【すぐろ】郷に属したという。慶安元年,広谷村が当村および下広谷村・五味ケ谷【ごみがや】村の3か村に分村して成立。はじめ幕府領,寛永16年川越【かわごえ】藩領と旗本横田2氏,馬場氏の相給,慶安元年川越藩領,幕末は上野前橋藩領,延享元年検地の持添新田は幕府領。検地は慶安元年。村高は「元禄郷帳」で189石余,「天保郷帳」285石余。村の規模は東西14町,南北10町。陸田が多く水田は少ない。村内を川越から坂戸に至る道が通る。用水は細流と溜井1か所を使用。化政期の家数50軒。高札場は村の中央部。鎮守は五味ケ谷村の鎮守も兼ねる氷川社。寺院は新義真言宗広谷山正音寺。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数38・人口165,馬12。物産は米・麦・鶏卵・繭・大豆・アワ・桑・芋など。明治12年高麗郡に所属。同22年鶴ケ島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286661
最終更新日:2009-03-01




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