ケータイ辞書JLogosロゴ 上三ツ俣村(近世)


埼玉県>加須市

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡羽生【はにう】領のうち。古くは太田荘に属したという。幕末に三ツ俣村から上・下2か村に分村して成立。旗本保々・雨宮・間宮・羽太・酒井5氏の相給。村高は「旧高旧領」で1,007石余。慶安2年から竜蔵寺に22石余が付された。明治4年埼玉県に所属。同7年観音寺に三俣学校を設置,生徒数は男47・女6。同9年の戸数143・人口852,馬21,水害予備船23,荷車8,人力車1。村の西方下三ツ俣村に飛地があった。物産は米・糯米・大麦・小麦・裸麦・大豆・小豆・ソバ・藍葉・青縞などで,米麦の余剰と青縞は行田【ぎようだ】町・加須【かぞ】町に出荷。同12年北埼玉郡に所属。同22年三俣村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286684
最終更新日:2009-03-01




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