ケータイ辞書JLogosロゴ 唐竹村(近世)


埼玉県>飯能市

 江戸期〜明治22年の村名。高麗【こま】郡のうち。古くは加治領に属したという。はじめ幕府領,延享4年一橋家領。検地は寛文8年。村高は「田園簿」で92石余で,畑のみ,「元禄郷帳」では102石余,「天保郷帳」103石余。村の規模は東西・南北ともに12町。川の南岸に民家があり,化政期の家数30軒。古くから農間稼ぎとして紙漉きが行われ,化政期にも7軒を数え,年貢のほかに紙舟役銭を納めた。高札場は村の中央に1か所。鎮守は白髭社で慶安2年朱印4石5斗を拝領。地内に新義真言宗滝水山宝性寺があり,慶安2年朱印3石を拝領。ほかに臨済宗竜向庵。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数31・人口190,馬2。明治5年宝性寺・竜向庵は廃寺となる。北部の廃寺を仮用し公立小学校を開校,生徒数27。物産は麦・大豆・アワ・ヒエ・キビ・杉丸太・繭・生糸・木綿縞など,ほかに製茶を行う。同12年高麗郡に所属。同22年原市場村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286766
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ