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- 河崎(中世)とは
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河崎(中世) 鎌倉期から見える地名三河国額田【ぬかた】郡のうち矢作【やはぎ】川中流左岸に乙川が合流する地点にあたる14世紀初頭成立の瀧山寺縁起に建長4年11月に瀧山寺の三重塔が完成して供養を行った時,「河崎ノ土佐ノ阿闍梨」ら6人の請僧を招じたことが見え(瀧山寺文書/岡崎市史6),すでに当地に相当な寺があったらしいこれは,海部【あま】郡大治町の河崎成願寺(現自性院)である可能性もある文明16年11月1日の如光弟子帳に「河崎 一箇所 藤三郎」とあり(上宮寺文書/同前),上宮寺末の真宗道場があったいま矢作にある勝蓮寺も「八町村ノ下川崎ト謂処」にあったともいう(参河聡視録矢矧村記)河崎は矢作東宿かその周縁部に位置していたと思われ,交通の要地でもあった「三河物語」に「桑子・筒針・ヤ羽ギ(矢作)ヱアガリ,河崎ヲ押上て,矢作河ヲ越」えたという記述があり,河崎は矢作川渡河点であったことがわかる江戸期は八町村に含まれ,現在八帖町に字川崎が残る |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
河崎(中世) 室町期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
河崎(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」