ケータイ辞書JLogosロゴ 河原沢村(近世)


埼玉県>小鹿野町

 江戸期〜明治22年の村名。秩父【ちちぶ】郡のうち。古くは矢畑荘に属したというが不詳。はじめ幕府領,天明4年から3年間は下総関宿藩領,のち再び幕府領。村高は「田園簿」で199石余,「元禄郷帳」264石余で,以後変わらず。検地は明暦元年に伊奈半十郎が実施。村の規模は東西1里・南北1里。純山村ですべて畑,焼畑耕作も行った。化政期の家数120軒。農間に男は山稼ぎ,女は養蚕・絹織物・紙漉きを行った。村内を河原沢川沿いに西上すると上武国境の志賀坂峠へ出て上野国甘楽【かんら】郡から信濃方面へ至る。村の南に幕府御用林山2か所と御巣鷹山1か所。鎮守は八幡社,ほかに八日見山上の竜神大明神社・諏訪社。寺院は曹洞宗小諸山真福寺・同加福山長松院・同両滝山正覚寺・本山派修験不動堂・当山派修験不動堂。名主家の南宅は明暦元年の検地帳15冊を現蔵。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数112・人口571,馬45。公立小学校があり,生徒数26。同12年秩父郡に所属。同22年三田川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286842
最終更新日:2009-03-01




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