ケータイ辞書JLogosロゴ 瓦曽根村(近世)


埼玉県>越谷市

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡八条領のうち。天正19年11月の徳川家康朱印状写には「崎西郡腰ケ谷瓦曽禰」とある(照蓮院文書)。幕府領。最終検地は元禄8年。村高は「田園簿」では583石余,「元禄郷帳」では588石余,「天保郷帳」では598石,うち5石は新義真言宗照蓮院の寺領。田と畑の比率は9対1。村の規模は東西8町・南北10町余。化政期の家数105軒。用水は葛西【かさい】用水を助水とする瓦曽根溜井で,四ケ領(八条・谷古田・淵江・西葛西)用水の圦元【いりもと】に位置した。助郷は溜井差配の村方であることから免除。特産の糯米は,将軍家御用の御膳細糯として知られる。旧家は,名主彦左衛門家で御膳細糯御用取扱人を務めた中村氏。また,溜井中土手(松土手)に設けられた瓦曽根河岸は,運上金上納の公式河岸で,100石積・80石積などの高瀬舟を備え,年貢米や商品荷物輸送の中心であった。鎮守は四丁野【しちようの】村にある総社久伊豆神社,ほかに鎮守稲荷社,寺院は新義真言宗照蓮院・同最勝院・羽黒派修験大竜院など。高札場は村の中央に1か所。小名には本村・後谷・柳田などがある。明治4年埼玉県,同12年南埼玉郡に所属。同9年の戸数135・人口727,高瀬船4・似艜【にたりひらた】船4・小伝馬船1・川下小船13・水害予備船4,荷車48・農車2・人力車21。物産は米・大麦・小麦・大豆・小豆・レンコン・莚・糯米。同22年蒲生【がもう】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286844
最終更新日:2009-03-01




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