ケータイ辞書JLogosロゴ 久喜町(近世)


埼玉県>久喜市

 江戸期の町名。埼玉郡騎西【きさい】領のうち。古くは久喜郷太田荘に属したという。江戸期には町内を久喜本町・久喜新町・野久喜・古久喜に4区分していたが,「旧高旧領」「郡村誌」には分村して見え,幕末には4か町村に分かれていたと思われる。はじめ幕府領,正保年間久喜藩領,寛政10年幕府領,同12年蝦夷【えぞ】地松前藩領,文化元年幕府領,同8年一部が旗本島田氏の知行となり,文政7年幕府領の一部が清水家領となるが,安政2年からは清水家領は幕府領となる。村高は「田園簿」では久喜之郷として2,091石,うち田961石・畑1,130石,「元禄郷帳」「天保郷帳」ではともに久喜村として2,191石。村の規模は東西15町・南北20町。化政期の家数323軒余。水利は新川用水を使用。町内を江戸・常陸【ひたち】・下総【しもうさ】から上野【こうずけ】への往還が通る。久喜本町には久喜藩主米津氏の陣屋跡があり,また村民の教育のために学問所として遷善館が開設された。旧家は中村氏を称する与右衛門家で,古久喜の名主を務める。鎮守は八幡社。神社はほかに雷電社・千勝社・清滝権現社・神明社など。臨済宗甘棠院は足利政氏が館を寺としたと伝え,天正19年徳川家康から寺領100石の寄進を受けた。寺院はほかに曹洞宗天王院・新義真言宗光明寺・同遍照院など。高札場は久喜本町2か所・久喜新町1か所・野久喜2か所・古久喜1か所。小名は一番足利・二番足利・稲荷木・一本木。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287009
最終更新日:2009-03-01




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