ケータイ辞書JLogosロゴ 久下村(近世)


埼玉県>加須市

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡羽生【はにう】領のうち。古くは太田荘に属したという。はじめ旗本水野氏の知行,天和2年からは旗本水野2氏の相給となり,幕末まで変わらず。村高は「田園簿」で558石余,うち田220石・畑338石余,以後変わらず。村の規模は東西・南北ともに8町余。化政期の家数90軒。用水は会ノ川を利用。鎮守は鷲明神社,神社は愛宕社・八幡社など6社。寺院は新義真言宗勝蔵院・同玄光寺。旧家は野本家。高札場は村の南に1か所。小名は又根・本田。明治4年埼玉県に所属。同8年村の中央に公立小学校久下学校開設,生徒数男45・女5。同9年の戸数144・人口781。物産は米・大麦・小麦・大豆・青縞・木綿織,米麦の余剰と木綿縞は加須【かぞ】町へ出荷。飛地が花崎村内にある。明治12年北埼玉郡に所属。同22年加須町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287024
最終更新日:2009-03-01




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