ケータイ辞書JLogosロゴ 串作村(近世)


埼玉県>加須市

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡羽生領のうち。古くは太田荘に属したという。はじめ幕府領,正保年間頃は川越【かわごえ】藩領,元禄7年からは旗本深尾・藤方・戸田3氏の相給。検地は元禄年間。村高は「田園簿」で601石余,うち田164石余・畑437石余,「元禄郷帳」537石余で,以後変わらず。村の規模は東西7町・南北18町余。化政期の家数80軒。用水は星川より引水。鎮守は諏訪社,神社はほかに稲荷社・蔵王権現社,寺院は中世の創建と伝える新義真言宗観音寺。高札場は3か所。小名は小松耕地・砂原耕地・川面耕地・洲崎耕地・谷中耕地・内野耕地・野久保耕地。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数117・人口669,馬20,荷車3。明治6年観音寺を仮用し公立小学校立生学校を設立,生徒数は男99・女22。物産は米・大豆・小麦・大麦のほか綿・青縞などで,米麦の余剰および青縞を行田【ぎようだ】町や加須【かぞ】町へ出荷。同12年北埼玉郡に所属。同22年志多見【しだみ】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287039
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ