ケータイ辞書JLogosロゴ 黒田村(近世)


埼玉県>花園町

 江戸期〜明治22年の村名。榛沢郡鉢形領のうち。古くは藤田郷萱苅荘に属したという。はじめ幕府領,慶長年間一部を旗本に分給。「田園簿」は南条金左衛門代官所・旗本榎本・神谷・大草の4氏知行。その後代官領は享保年間上総久留里藩領,榎本氏分は承応元年に永島氏分(慶応3年岩鼻代官領となる)と替わる。別に延享2年新田検地(25石余)が行われ,幕府領となる。村高は「田園簿」で295石余,うち田83石余・畑212石余。「天保郷帳」「旧高旧領」とも413石余。村の規模は東西17町・南北8町余。天明5年村明細帳による畑作は麦・大豆・アワ・ヒエ・トウモロコシ・ダイコン・芋・桑などで,桑は畠の周囲に植えられた。農間稼ぎに「絹・太織・木綿布を織出し」とあり,綿栽培も多小あったようである(沼尻家文書/花園村史)。化政期の家数75軒。寺社は新義真言宗薬王寺と鎮守赤口【しやくじ】社・聖天社など。慶応4年3月,御用金・先納金免除撤回のため大谷村(深谷【ふかや】市大谷)から押出した百姓一揆は,旗本領主神谷勝十郎を黒田村名主宅で殺害し,薬王寺境内に墓地がある。明治9年埼玉県,同12年榛沢郡に所属。明治9年の戸数88・人口443,同17年88戸・515人。「地味色黒く砂礫を混じ稲粱に適せず,コウゾ・茶等によし。時々旱に苦しむ」地で大麦・小麦・生茶・コウゾ・桑・薪・絹などを産出(郡村誌)。明治22年花園村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287164
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ