ケータイ辞書JLogosロゴ 黒田(近代)


埼玉県>花園町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ花園村,昭和58年からは花園町の大字。明治34年上武鉄道(のち秩父鉄道と改称)が北部を通過し,電灯は大正13年点灯。農業経営研究の盛んな地で,明治20年沼尻逸十郎が黒田農桑研究会を組織。同39年中島徳三郎のヨークシャー種購入飼育による養豚,コンニャク・球根栽培。大正3年笠原五郎吉のバークシャー種豚購入と黒田養豚組合結成など一連の成果は,現在農家経営法の基盤となった。明治37年碓氷社系の花園組座繰製糸揚返所が設置され,大正10年頃の年間繰業は280回,生糸1万5,000貫に達した。昭和32年第一石産運輸,同39年第一化成花園工場を誘致。同48・49の両年,農業構造改善事業による土地改良工事を実施するとともに,荒川中部農業用水の導入は天候依存の営農法を脱却。同51年関越自動車道およびインターチェンジの工事が開始された。戸数・人口は明治22年89・539,昭和28年141・855,同44年178・818。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287165
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ