ケータイ辞書JLogosロゴ 黒山(中世)


埼玉県>越生町

 室町期から見える地名。入西【につさい】郡越生【おごせ】郷のうち。黒山の熊野神社は室町期以来の本山派修験の中心山本坊の前身で,応永2年に箱根権現社の別当相馬掃部介時良入道山本坊栄円が黒山に移り,同5年2月12日に建立した将門宮であり(棟札),新熊野社とも称した。栄円は本山派修験の大先達で,太平山や黒山三滝を修行道場とした。黒山三滝上には,「山本開山権大僧都栄円和尚 応永二十年癸巳十月日」,「法勝禅門寿塔 応永廿一年甲午五月日」在銘の宝篋印塔がある(銘記集)。越生町堂山の最勝寺所蔵の大般若経奥書(同前)には,「応永廿四年五月十九日 武州入西郡吾那越生郷新熊野堂住 執筆良観」,「応永廿四年六月廿日 武蔵国吾那小山一乗坊新熊野大般若……書写 良観」とある。10世の栄竜は慶長8年に山本坊を西戸【さいど】村(現毛呂山【もろやま】町西戸)に移し,黒山の坊跡は代理に託した。奉行所に提出した文書には,開山栄円は応永2年より黒山に住し,黒山村の永高25貫のうち5貫350文を抱え置き,門前譜代の者20軒に耕作させていたと述べられている(山本坊文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287176
最終更新日:2009-03-01




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