ケータイ辞書JLogosロゴ 越ケ谷宿(近世)


埼玉県>越谷市

江戸期の宿名埼玉郡越ケ谷領のうち古くは騎西【きさい】荘に属したという県南東部の元荒川に面した沖積地に位置する日光街道第3の宿場越ケ谷町・大沢町を合わせて1宿とした慶長7年,徳川氏による宿駅制度により,奥州街道(のち日光街道)の駅として新たに越ケ谷町が造成され,これに伴い大沢が町場化し,のちに両町の交通機関が統合された江戸後期には本陣1・脇本陣1,助郷高は1万1,807石,旅宿52,戸数1,005・人口4,604(埼玉県の歴史)継立の人馬は50人・50匹を定数とし,草加・粕壁【かすかべ】のほか吉川・鳩ケ谷【はとがや】・大門【だいもん】・岩槻【いわつき】の各宿へも継立をしたこの伝馬業務は越ケ谷町と大沢町とが10日交代で務めた越ケ谷町は本町・中町・新町の行政区に分かれ,それぞれ名主・問屋が置かれ,2・7の日に六斎市が立ち,近郷商圏の中心地でもあったまた休泊施設のほとんどが大沢町に集中し,ことに飯盛旅籠と飯盛女は有名であった現在の越谷町のほぼ中心部
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287273
最終更新日:2009-03-01




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