ケータイ辞書JLogosロゴ 猿喰土村(近世)


埼玉県>花園町

江戸期〜明治9年の村名猿喰戸・去谷戸とも書き,「さるくいと・さるかいと・ざるがいと」とも読む(持田・中沢家文書)榛沢【はんざわ】郡鉢形【はちがた】領のうち古くは藤田郷萱苅荘に属したという県北部の平らな櫛挽【くしびき】台地上に位置する現在の花園町大字武蔵野のうち猿喰土(下郷【しもごう】ともいう)の地域「郡村誌」に「往古は飯塚村と称せしが,承応年中村高を割き猿喰土村」など「五ケ村を分郷す」とある文禄4年10月25日の「武州榛沢郡鉢形領之内荒川村御縄打水帳」に「さるかいと」と耕地所在地を表示したものが初見その後,寛文12年5月15日,荒川村私領名主非法につき代官領名主訴状に「ざるがひと村より切出シ之畑四十四」とある(持田家文書1)村の規模東西10町余・南北9町ほどで,分村以来旗本木下氏の知行地検地は元禄10年・延享2年の新田検地(8石余)の2回(花園村史)「旧高旧領」による村高は旗本木下求馬知行80石,岩鼻代官所支配8石余,計88石余耕地は田1町余・畑29町余で,大麦・小麦・豆類を中心とした畑作経営であった(富田家文書)化政期の家数40軒,明治5年の戸数51・人口285地租改正の折,村境の入り組みが複雑で1村限りの地積調査不可能につき,旧5か村は明治9年5月合併し,武蔵野村となる(花園村史)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287609
最終更新日:2009-03-01




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