ケータイ辞書JLogosロゴ 志多町(近世)


埼玉県>川越市

江戸期の町名下町とも書く川越城下の下五ケ町および川越十ケ町の1つ喜多町の北,広済寺長屋の東に位置し,北を赤間川が流れる地名は土地が低いことに由来するという化政期の家数47軒赤間川の際に惣門があり,門に続いて川には志多町橋(東明寺橋)が架かり,松山や中山道熊谷【くまがや】宿へ向かう往来を成していた町内には一遍上人の開山と伝える時宗東明寺と曹洞宗長昌寺がある現在の川越市志多町のあたり→川越城下【かわごえじょうか】
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287662
最終更新日:2009-03-01




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