ケータイ辞書JLogosロゴ 志垂村(近世)


埼玉県>川越市

 江戸期〜明治22年の村名。入間郡河越【かわごえ】領のうち。古くは山田荘三芳野里に属したという。川越藩領。検地は慶安元年・明暦2年。村高は「田園簿」で207石余,うち田143石余・畑64石余,「元禄郷帳」205石余,「天保郷帳」216石余。村の規模は東西4町余・南北5町余。化政期の家数27軒。用水は上寺山村で入間川を堰入れて利用,あるいは宿粒【しゆくりゆう】村の池より引水。村内を川越から比企【ひき】郡松山へ向かう街道が通る。鎮守は府川【ふかわ】村の八幡社。神社は山王社。寺院は天台宗安養院・多門院。高札場は村の中央やや南寄り。小名は木曽目前・大段田など。明治初年安養院を仮用して公立小学校開校,生徒数69。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数31・人口163,馬5。物産は鶏卵・米。明治12年入間郡に所属。同22年山田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287666
最終更新日:2009-03-01




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