ケータイ辞書JLogosロゴ 七本木村(近世)


埼玉県>上里町

 江戸期〜明治22年の村名。賀美【かみ】郡安保領のうち。古くは長幡【ながはた】郷丹之荘に属したという。当地は古く武蔵本庄宿(現本庄市)から上野【こうずけ】国小幡・七日市(群馬県)方面へ向かう脇往還が通り,慶長年間から人馬の継立を始め,町場化したという。「田園簿」「元禄郷帳」では七本木町と見える。はじめ幕府領,寛永年間には幕府領・旗本新見氏知行,寛文年間には旗本岡上氏知行が加わり,元禄11年,幕府領と旗本吉良・伏見・古田・筧氏の相給,明和7年以後幕府領は旗本松平氏の知行となる。検地は万治元年9月岡上次郎兵衛による。村高は「田園簿」では七本木町・長浜町・安保町をふくめて1,288石余。「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに1,028石余。鎮守は八幡社,神社はほかに5社。曹洞宗舜栄山宝泉寺(明治維新期に法泉寺と改称)は天正元年金井筑前守の建立で,慶安2年徳川家から寺領13石を拝領。同慈眼山休安寺も天正年間に金井氏の建立と伝える。同如意山宝輪寺・泉長寺(明治2年法泉寺に合併)・新義真言宗安楽山西福寺も中興開基を金井筑前守と伝える。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数266・人口1,106,馬52・荷車2。飛地が長浜町村・石神村にあった。西福寺に公立小学校があり生徒数142。民業は農桑253戸・医者3戸,女は紡織・養蚕を業とする者509人。物産は繭・生糸・絹・太織・木綿など。同12年賀美郡に所属。明治22年七本木村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287673
最終更新日:2009-03-01




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