ケータイ辞書JLogosロゴ 柴崎村(近世)


埼玉県>深谷市

 江戸期〜明治22年の村名。幡羅【はたら】郡のうち。古くは深谷【ふかや】荘深谷領に属したという。はじめ幕府領,元禄頃からは旗本水野氏の知行。村高は「田園簿」では106石余で,すべて畑,ほかに永2貫文余。「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに162石余。村の規模は東西10町余・南北12町余。化政期の家数40軒。鎮守は諏訪社。神社はほかに神明社・稲荷社。寺院は臨済宗月笑院・当山派修験竜法院。小名は新田・打出・東・西など。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数48・人口236,馬5,荷車4。物産は生糸・粟・小豆など。明治12年幡羅郡に所属。同22年幡羅村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287707
最終更新日:2009-03-01




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