ケータイ辞書JLogosロゴ 下小坂村(近世)


埼玉県>川越市

 江戸期〜明治22年の村名。高麗郡のうち。古くは勝呂【すぐろ】郷に属したという。はじめ幕府領,正保の頃川越【かわごえ】藩領,幕末には上野前橋藩領。検地は慶安元年。村高は「田園簿」では348石余,うち田212石余・畑135石余,「元禄郷帳」378石余,「天保郷帳」404石余。村の規模は東西13町・南北7町余。化政期の家数70軒。用水は小畦川を堰入れて利用。村内を秩父【ちちぶ】から川越・江戸への街道が通る。昭和7年の諸色明細帳によれば家数75・人口305,馬16で,用水悪水浚・村道普請・郷御蔵番などを家別に行っていたことがわかる(村明細帳集成)。鎮守は白髪社。神社はほかに稲荷社・天王社。寺院は新義真言宗永命寺。高札場は村の中央部。小名は道灌塚・前方・後方など。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数73・人口341,馬22。物産は米・大麦・大豆・里芋・木綿など。同12年高麗郡に所属。同22年名細【なぐわし】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287814
最終更新日:2009-03-01




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