ケータイ辞書JLogosロゴ 下川崎村(近世)


埼玉県>羽生市

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡羽生【はにう】領のうち。古くは葛浜郷太田荘に属したという。はじめ川崎村で1村であったが,寛文6年に上・下に分村して立村。宝永2年から常陸下妻藩領。検地は承応2年。元禄年間に当村から中川崎村が分村。村高は「天保郷帳」384石余。天保年間の家数52軒。鎮守は熊野社。寺院は浄土宗清水山浄林寺・新義真言宗愛宕山円福寺。明治4年埼玉県に所属。同7年中川崎村を合併。同9年の戸数105・人口518,馬22。物産は米・麦・大豆・小豆・ソバ・青縞で,余剰は行田【ぎようだ】・加須【かぞ】・羽生の各町へ出荷。同12年北埼玉郡に所属。同22年須影【すかげ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287850
最終更新日:2009-03-01




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