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下新田(近世) 江戸期~明治22年の新田村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
下新田(近世) 江戸期~明治9年の新田名蒲原郡のうち元禄12年横越組新村年代方角親村付帳(新潟市合併町村の歴史史料編3)によれば,寛永14年開発,下木戸村枝郷栗ノ木川右岸新発田【しばた】藩領村高は,「元禄郷帳」に下木戸村枝郷として62石,「天保郷帳」では「古者,楚川村枝郷下新田・下木戸村枝郷下新田,弐ケ村」と肩書きされ212石余とあり,「旧高旧領」でも同高となっているが,両新田は位置的にも離れており合併した事実はない名主は紫竹新田名主兼帯明治5年の戸数14・人口91同9年麓が中山新田の一部に,残部は紫竹新田の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
下新田(近世) 江戸期~明治10年の新田名蒲原郡のうち信濃川下流右岸嘉喜新田が上新田とも称したので,これに対応する地名と思われる元禄12年横越組新村年代方角親村付帳によれば,楚川村枝郷で,寛永15年の開発という新発田【しばた】藩領村高は,「元禄郷帳」では楚川村枝郷とあり24石余,「天保郷帳」では「古者楚川村枝郷下新田・下木戸村枝郷下新田二か村」とあり212石余当新田は楚川村名主の支配に属した明治5年の戸数15・人口94同10年曽川村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」