ケータイ辞書JLogosロゴ 下戸田村(近世)


埼玉県>戸田市

 江戸期〜明治22年の村名。足立【あだち】郡戸田領のうち。幕府領。村高は「田園簿」で645石余,うち田455石余・畑189石余,野銭永2貫817文。「元禄郷帳」で804石余,「天保郷帳」では857石余。検地は寛永6年・元禄8年。新田は天明6年飯塚常之丞により高入り(新編武蔵)。村の西方に中山道が通る。荒川に下戸田村で差配する中山道の渡船場戸田の渡しがあり,元和2年に定船場となる。また寛保3年以来渡船場の差配をめぐって,蕨【わらび】宿(現蕨市)と争いが起こり,明治2年に蕨宿に差配権が移る。戸田河岸が荒川にあり,江戸方面への物資の集積地としてにぎわい,米・麦のほか,日用品・野菜などを江戸に搬出。明治9年では,出入船数1,100・出入荷物9,500駄。村の規模は東西・南北ともに11町余。高札場1か所。化政期の家数155軒。荒川沿いの低地のため,しばしば水害に悩まされる。村の鎮守は氷川社,寺院には,新義真言宗正覚院・浄土宗常福寺・地蔵堂など。小名に元蕨があり,蕨宿のもとの地と伝えている。明治4年埼玉県に所属。同8年戸田橋を架橋。同9年の戸数182・人口939,馬13。高瀬舟5・漁船14・水害予備船32。物産は米・麦のほか,コイ・アユ・大豆・清酒・味噌・醤油・木綿帯・瓦など。明治12年北足立郡に所属。同22年戸田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287928
最終更新日:2009-03-01




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