ケータイ辞書JLogosロゴ 下名栗村(近世)


埼玉県>名栗村

 江戸期〜明治22年の村名。秩父【ちちぶ】郡のうち。古くは武光【たけみつ】荘名栗郷加治領に属すという。江戸期は幕府領。検地は寛文8年など2回。秩父往還が村の北方上名栗境より東方に向かい,村道の1つは村の南方字桐木平より南に折れ青梅【おうめ】(東京都)へ,1つは村の北方落合橋より北に折れ桂子に至る。村の規模は東西3里・南北20町余。村高は「田園簿」では242石余,「元禄郷帳」では301石余で,幕末まで変わらず。化政期の家数135軒,山谷の間に散在。農業はすべて畑作で生活は主に山林業にたよる。良材のスギ・ヒノキを産し,材木は筏師が筏に組んで江戸へ出荷。村の西方の有馬山に広大な幕府御用林もあった。生活用品は飯能【はんのう】宿で求める。高札場は村の中央倉久保にあり,村の鎮守は諏訪社。寺院は新義真言宗雲峰山願王寺で,小名根古屋にあり,中世の城館址である根古屋城の地。曹洞宗重照山楞厳寺は天正19年朱印6石,同徳雲山竜泉寺は10石の朱印寺。ほかに同円通山同雲寺など数寺。有馬山の谷間には雨乞いの霊地有馬淵があった。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数133・人口802。楞厳寺に開校の公立小学校の生徒数58。願王寺は同5年に廃寺。物産は杉丸太が年産1万本,炭5,800俵,ほかに繭・茶など。同12年秩父郡に所属。明治22年名栗村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287937
最終更新日:2009-03-01




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