ケータイ辞書JLogosロゴ 下羽生村(近世)


埼玉県>羽生市

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡羽生領のうち。古くは太田荘葛浜郷または古江郷に属したという。分村の時期は未詳だが,正保国絵図には中世の羽生の地域に上羽生・下羽生・羽生町が見えるという。「田園簿」では3か村に分村して記載。はじめ幕府領。宝永2年から幕府領と岩槻【いわつき】藩領,一部は旗本新見氏の知行。正徳元年岩槻藩領は旗本一柳・有馬氏知行。旗本一柳氏知行分はのちに幕府領,旗本押田氏の知行。他の幕府領は寛保2年下野足利藩領。慶応3年すべて幕府領。検地は承応3年。村高は「田園簿」で447石余,「元禄郷帳」546石余(新田を含む),「天保郷帳」548石余,以後ほぼ変わらず。村の規模は東西9町・南北8町余。用水は北河原用水を使用。鎮守は天神社。新義真言宗天照山真光寺。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数62・人口368,馬10。物産は米・麦・大豆・小豆・ソバ・青縞などで,余剰は羽生・行田【ぎようだ】両町へ出荷。明治4年北袋村南端の土地を購入し,幅2間・長さ150間の三田谷【さんたや】堀を開削。同12年北埼玉郡に所属。同22年須影【すかげ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7287962
最終更新日:2009-03-01




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