ケータイ辞書JLogosロゴ 下三田ケ谷村(近世)


埼玉県>羽生市

江戸期〜明治7年の村名県北東部,利根【とね】川中流右岸に位置する埼玉郡羽生【はにう】領のうち古くは太田荘に属したという元文3年三田ケ谷村が上・下に分村はじめ旗本小尾氏知行と幕府領,のち幕府領は岩槻【いわつき】藩領と幕府領になり,さらに幕府領は旗本土岐・目賀田・能勢氏知行となる検地は承応2年・享保18年村高は「天保郷帳」で897石余で,以後変わらず稲子用水を使用鎮守は八幡社,寺院は新義真言宗光永山蓮台寺・本山派修験来光院明治4年埼玉県に所属同7年三田ケ谷村となる現在の羽生市三田ケ谷あたり
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7288000
最終更新日:2009-03-01




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