ケータイ辞書JLogosロゴ 拾壱軒村(近世)


埼玉県>吉川市

 江戸期〜明治22年の村名。葛飾【かつしか】郡松伏【まつぶし】領のうち。幕府領。寛永年間頃の開発で,はじめ赤岩村の新田であった。元禄8年の検地の際に分村したと伝える。村高は,「元禄郷帳」では200石余で,以後変わらず。村の規模は,東西3町余・南北12町余。化政期の家数20軒。用水は二郷半領新田用水を利用。低湿地でしばしば水害を被る。鎮守は小名ごとに稲荷2社。ほかに神社は天神社。寺院は浄土宗無量寺。高札場は村の南,小名は上組・下組。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数22・人口133,馬6,耕作船21。物産は米。松伏村に飛地がある。明治12年北葛飾郡に所属。同22年旭村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7288041
最終更新日:2009-03-01




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