ケータイ辞書JLogosロゴ 宿村(近世)


埼玉県>さいたま市

 江戸期〜明治22年の村名。足立【あだち】郡植田谷【うえたや】領のうち。はじめ幕府領,正保年間頃旗本朝岡氏の知行,のち幕府領,享保12年幕府領と旗本小笠原氏の知行,同16年からは幕府領と旗本小笠原・伊奈両氏の相給,持添の八貫野新田は幕府領。検地は寛永年間。村高は「田園簿」で276石余,「元禄郷帳」302石余,「天保郷帳」318石余。村の規模は東西22町・南北4町余。化政期の家数32軒。用水は関沼の水を利用。紀伊徳川家の御鷹場支配を受けた。助郷は中山道大宮宿に出役。浄土宗観音寺は慶安2年寺領8石の朱印地を拝領。鎮守は八幡社,神社はほかに天神社・稲荷社など。名主は木内家が世襲,近世文書を多く所蔵。高札場は村の中央部。小名は前耕地・後ロ谷・表。明治4年埼玉県に所属。同6年観音寺を仮用し,公立小学校(宿村学校)開校。同9年の戸数44・人口237,馬18,水害予備船4・農船5,農車5。物産は米・大麦・小麦・大豆など。飛地が当村の西方数か村の入会地にある。明治12年北足立郡に所属。同22年大久保村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7288048
最終更新日:2009-03-01




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