ケータイ辞書JLogosロゴ 上鋪免村(近世)


埼玉県>深谷市

 江戸期〜明治22年の村名。榛沢【はんざわ】郡深谷【ふかや】領のうち。古くは藤田荘に属したという。はじめ松平忠輝の知行,元和8年深谷藩領,寛永12年幕府領,寛文2年一部は旗本大久保氏の知行,元禄11年幕府領が旗本前田・木下氏の相給。村高は「田園簿」で605石余,うち田231石余・畑373石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに605石余。村の規模は東西10町・南北15町余。化政期の家数107軒。鎮守は諏訪社。神社はほかに太神宮。寺院は真言宗泉光寺・天台宗真光寺。高札場は3か所。小名は皿沼・石原・中島など。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数91・人口405,馬37。物産は藍・瓦・生糸・桑など。明治12年榛沢郡に所属。同22年大寄村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7288081
最終更新日:2009-03-01




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