ケータイ辞書JLogosロゴ 須戸野谷新田(近世)


埼玉県>吉見町

江戸期〜明治7年の新田村名「ずとのや」「すとのや」ともいう県中央部,荒川右岸の低地に位置する横見郡下吉見領のうち地名の須は洲,戸は入口,谷は湿地で,荒川の洲口の低地を意味するといわれる(吉見町史)幕府領検地は享保12年村高は「天保郷帳」で725石余徳川家康が鹿狩をした地で,その時鴻巣【こうのす】宿から荒川に舟橋をかけて家康の便をはかったので,この地を鴻巣宿の伝馬役に与えたという鴻巣宿の持添新田荒川右岸の水損の地で,のちに原野を開墾して陸田とした村の規模は東西8町余・南北20町余化政期の家数16軒鎮守は神明社・稲荷社小名は立野・谷通住民に所有地がなく戸籍編成にさしつかえたため,明治5年鴻巣宿から分離独立同7年明秋【めいしゆう】村と改称
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7288275
最終更新日:2009-03-01




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