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- 砂原村(近世)とは
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砂原村(近世) 江戸期~明治20年の村名豊前国企救【きく】郡のうち砂津川河口右岸に位置し,北は響灘に面する古くは砂部の畠のみで,畠作専業の地であったという(企救郡誌)村内は村方と浦方とに分かれ,浦方は長浜浦と称した村名の初見は,「元禄国絵図」なお,「人畜改帳」には「長はま浦」(長浜浦)と見え,家数53・人数176(男106・女70),うち御賀子(御水主)役16人・川口ノ番2・大工1,ほかに「長はまノ新町」は家数30・人数60(男34・女26),ふち日用取9・日用頭本百姓1,牛6村高は,「元禄国絵図」4石余,「天保郷帳」308石余,「旧高旧領」165石余夫役高は文化5年151石余(企救郡役目高指引帳)享保の飢饉では9人の餓死者を出した(開善寺過去帳)文政5年には長浜浦で火災があり310軒を焼失(忠固公年譜)万延年間の村勢は,長浜浦として竈数252・人数1,071,船数215(渡海船54・漁舟161),藩主御菜米として22石余,小物成は米4升(企救郡各村覚書)明治6年藍島との間の浅瀬に建造された白洲灯台は,長浜浦庄屋の岩松助左衛門の尽力によるもの明治10年頃の村域(長浜浦を除く)は東西3町・南北5町余,田6町8反・畠24町・宅地3町1反,戸数64戸,人口240(男120・女120),牛9,溜池10(豊前村誌)同20年砂津村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
砂原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
砂原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
砂原村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
砂原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
砂原村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」