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- 瀬崎村(近世)とは
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瀬崎村(近世) 江戸中期の村名遠江【とおとうみ】国豊田郡のうち天竜川支流阿多古川が天竜川に注ぐ合流点で,大きく蛇行する天竜川に形成された中州に位置する地名の由来は,瀬の突端に位置したという地形による「風土記伝」には西鹿島村の分村とあるが,「天保郷帳」などには同村の枝郷と見える幕府領村高は,「元禄高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに18石余西鹿島【にしかじま】村の妙雲寺過去帳によれば,「正保以前西鹿島村三村に分る,即ち瀬崎村,佐崎野村なり,此又以前元亀二年大洪水あり,この為遠州長上郡橋和村日蓮宗長光山妙恩寺末豊田郡瀬崎村成就山妙雲寺流失,西鹿島村に移転,元和元年又々大洪水あり,ここに至りて村民前途を嘆じ全村あげて西鹿島村へ移住す,この後宝永二年再び洪水あり,而して同村全く流亡す」と見え,正保年間以前西鹿島村より分村した当村は,度重なる洪水で宝永2年以後は天竜川の河川敷となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」