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- 大満村(近世)とは
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大満村(近世) 江戸期~明治10年の村名因幡【いなば】国高草郡のうち千代【せんだい】川の支流野坂川中流部に位置する鳥取藩領村高は,拝領高365石余,「元禄郷村帳」400石余,「天保郷帳」401石余(うち新田高26石余),「元治郷村帳」396石余,「旧高旧領」401石余元禄の本免は5.8天保3年の藪役銀4匁・山役銀7匁(藩史5)戸数は,「因幡志」10,「文久3年組合帳」20「因幡志」によれば,古記に20軒とあり,南の桷間【かくま】村へ4町,国常立命を祭神とする氏神は松上大明神明治4年鳥取県,同9年島根県に所属明治6年大満小学校を設立,翌7年の教員数1,生徒数男11・女2(県史近代5)同10年桷間村と合併して大桷【だいかく】村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」