ケータイ辞書JLogosロゴ 高根村(近世)


埼玉県>入間市

 江戸期〜明治22年の村名。入間【いるま】郡山口領のうち。慶安年間に宮寺町が11か村に分村して成立。郷帳類には「宮寺 高根村」と見える。旗本大森氏の知行。村高は慶安年間110石,「元禄郷帳」では148石余,「天保郷帳」116石余。村の規模は東西2町余・南北3町余。化政期の家数50軒。山林が多く耕作地は少なかった。用水には村の南にある神明池を利用。鎮守は高根明神社。神社はほかに愛宕社・神明社など。寺院は僧真菴開山(寂年永禄2年)と伝える臨済宗松沢山福泉寺。元禄元年,狭山丘陵を中にはさんで多摩郡石畑村と,入間郡高根村・富士山村・坊村との間に,馬草山の秣場をめぐり出入りが起こった。高根側が秣場は入会地であると主張,石畑側は自村の所有地であると反論。同年11月,裁許の結果,高根側の言い分が認められ解決をみた(瑞穂町史)。明治初年福泉寺を仮用して公立小学校開校,生徒数36。同9年埼玉県に所属。同年の戸数63・人口314,馬6。物産は繭・茶・藍葉・松薪・木綿縞など。飛地が二本木村にある。明治12年入間郡に所属。同22年元狭山【もとさやま】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7288476
最終更新日:2009-03-01




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