ケータイ辞書JLogosロゴ 高見(中世)


埼玉県>小川町

 戦国期に見える地名。比企郡のうち。当地は比企郡と男衾【おぶすま】郡の郡境で,上野【こうずけ】(群馬県)・信濃(長野県)への鎌倉街道が通り,扇谷上杉定正と山内上杉顕定の抗争による戦場となった。文明12年と推定される11月18日の太田道灌書状(武文)によれば前年の正月20日に「当所竹沢辺歟高見辺打出」と見える。長享2年11月27日の佐藤助太郎宛ての足利成氏感状(佐藤文書)には「於武州高見原合戦之時」とある。「鎌倉管領記」などには延徳元年11月15日に扇谷上杉定正と山内上杉顕定が高見原で合戦し,顕定が敗北したと見え,福徳元年(延徳元年)3月2日の上杉定正書状にも「一 去年高見原一戦も,敵之刷近来可然候」(武文)とある。高見原を見おろす四津山にある高見城は,このような状況の中で築城されたものと推定され,石井九郎左衛門政綱・増田四郎重富が城主であったと伝える(新編武蔵)。小田原北条氏は,高見・奈良梨【ならなし】を伝馬宿駅に定め,天正10年12月9日の北条家伝馬掟(鈴木文書/武文)には,「掟 奈良梨 一 西上州表へ伝馬之事,奈良梨より高見へ可次,此方者須賀谷へ可次事」とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7288503
最終更新日:2009-03-01




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