ケータイ辞書JLogosロゴ 高見村(近世)


埼玉県>小川町

 江戸期〜明治22年の村名。比企郡のうち。古くは高見荘松山領に属したという。はじめ幕府領,のち幕府領と旗本田村・小宮山氏の相給,のち幕府領は旗本佐久間氏の知行となる。村高は「田園簿」で199石余,うち田115石余・畑84石余,「元禄郷帳」241石余,「天保郷帳」289石余。村の規模は東西約9町・南北10町余。化政期の家数40軒余。鎮守は舳執明神社。寺院は新義真言宗明王寺。小名は前峯・松ノ木・町場。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数68・人口293,馬25。物産は繭・米・大麦・小麦・大豆・コウゾ皮など。明治12年比企郡に所属。同22年八和田【やわた】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7288504
最終更新日:2009-03-01




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