ケータイ辞書JLogosロゴ 竹沢郷(中世)


埼玉県>小川町

 南北朝期から見える郷名。比企【ひき】郡のうち。応安2年6月15日の藤田覚能宛ての関東管領上杉能憲奉書案に,「武蔵国比企郡竹沢郷内竹沢左近将監入道跡事,為勲功之賞所被預置也」と見える。同年6月27日同施行状にも,翌3年10月3日の大石能重打渡状にも同様に見える。しかし,この所領宛行は,当郷の在地勢力の抵抗により遅滞したらしく,同7年10月14日の上杉能憲奉書案では「竹沢郷田畠在家,同郷宮入村」が,竹沢二郎太郎・同修理亮入道・比丘尼・泉蔵人太郎らによって押領されていたことが知られる(円覚寺文書)。応永4年7月10日に足利氏満は,竹沢兵庫助入道跡を鎌倉二階堂の真言院に修理料として寄進している。永享8年7月26日の鎌倉公方足利持氏御教書では,「竹沢郷内西方,同 金子民部作分之九段田,糠田并寺門坊作分等」の藤田宗員から後家の紀春への譲渡を安堵している。文安6年6月19日には後家の紀春は同地を円覚寺に寄進した(円覚寺文書/神奈川県史3上)。竹沢郷は現在の小川町の竹沢地区一帯に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7288549
最終更新日:2009-03-01




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