ケータイ辞書JLogosロゴ 竹間沢村(近世)


埼玉県>三芳町

 江戸期〜明治22年の村名。入間【いるま】郡河越【かわごえ】領のうち。古くは武蔵野郷仙波荘に属したという。川越藩領。検地は慶安元年・延宝3年・天保15年。村高は「田園簿」で197石余,「元禄郷帳」263石余,「天保郷帳」467石余と増加。当村周辺では武蔵野新田の開発が盛んで,村内を通る川越街道の西10町余を隔てて新田があり延宝3年に検地。高札場は村の東に1か所。用水は大和田町(現新座市)内の溜井からの細流を使用。村の東は柳瀬川が北流し,付近は尾張徳川家の御鷹場支配を受けた。村の規模は東西・南北ともに17〜18町。化政期の家数88軒。鎮守は三十番神社,神社はほかに5社。寺院は新義真言宗青竜山泉蔵寺。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数103・人口544,馬18。村の東方の志木宿(志木市)に飛地1か所。物産は米・麦のほか大豆・藍葉・茶など。明治12年入間郡に所属。同22年三芳村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7288658
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ