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- 出来島村(近世)とは
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![]() | 出来島村(近世) 江戸期の村名神埼【かんざき】郡のうち筑後川下流右岸の平地に位置する佐賀本藩領七島郷に属す「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」には1村として見えるが,「天明村々目録」「天保郷帳」などには村名が見えず,村高は不明「大小配分石高帳」では鍋島山城が地米高464石余を知行している筑後川の対岸は久留米藩領であるため,番所が置かれた北は土居を挟んで迎島村,西は中津村に接する江戸後期の神埼下郷絵図によれば,御髪神社を中心に家数41軒があり,人家を囲んで長さ620間・幅4間の東浦堀がある中津村境には「七島田」があり,家数4軒が見えるが,出来島分之内と迎島分之内の領分になっている寺院は天正8年浄円の開基による浄土真宗本願寺派紫雲山西蓮寺があり,佐賀郡願正寺の末寺浄円は一名慶西といわれ,地頭貞包遠江守の子貞包監物のことである境内には明治28年建立の牧源一の頌徳碑があるが,牧源一は白石邑鍋島の家臣で,明治維新後酒造業を営み,隣村の中津村に私費を投じて水門を築造し,水損や旱損,水利に寄与した「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では迎島村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,迎島村のうちに「出来島村」と見え,戸数55・人口309 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」